2022年05月14日

榎倉香邨先生を偲ぶ会

●日時 令和4年5月6日(金)11〜12時
●場所 ANAクラウンプラザホテル神戸 ザ・ボールルーム
●次第
 弔辞 黒田賢一先生
    [日本芸術院会員/日展副理事長] 
 弔辞 土橋靖子先生
    [日展監事/公益社団法人日本書芸院理事長] 
 弔辞 井戸敏三様
    [前兵庫県知事/公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構特別顧問] 
 弔辞 伊藤一彦先生
    [若山牧水記念文学館館長/歌人] 
 メッセージ 俵万智先生(代読)
       [歌人] 
 謝辞 岩永栖邨
    [書道香瓔会理事長] 
 献花

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榎倉香邨先生の偲ぶ会が執り行われた日の神戸は、初夏の暑さを感じるよく晴れた一日でした。
約800名の皆様にご参列のもと、榎倉先生とのお別れの時間をお過ごしいただきました。
お忙しい折、遠路お運びいただきまして誠にありがとうございました。

セレモニーでは、5名の先生方からお別れの言葉を頂戴しました。

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▲黒田賢一先生

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▲土橋靖子先生

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▲井戸敏三様

頂戴したお言葉の中から、ご本人の承諾のもと、内容の一部を抜粋し、紹介させていただきます。
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▲伊藤一彦先生
「榎倉先生、先生とお別れする日が来るとは信じていませんでした。
 先生は高齢と言われるお年になっても、いつも颯爽かつ潑溂として、次なるお仕事への意欲と挑戦のお気持ちを語っておられました。
 20年以上前、先生が若山牧水についての私の講演を聞いてくださったことがきっかけで、おつきあいが始まりました。
 責任の重さを痛感しますが、榎倉先生の70歳代後半からの約20年間は牧水とともにあったと言って過言ではありません。
 先生は、牧水の歌をひたすら書き続けられただけでなく、牧水ゆかりの全国の土地を訪れ、牧水の見た海と山とを自分の目に焼きつけられました。牧水の故郷である宮崎への来訪は当然数知れないほどでした。
 なぜ、牧水だったのでしょうか。『牧水が純粋だから』と榎倉先生からお聞きしたことがありますが、私は、先生自身が誰よりも純粋だったからだと存じます。
 『自分自身の信じた道を突き進む純粋と真実こそが芸術の尊さ』と考える榎倉先生にとって、『あくがれ』を生涯持ち続けた牧水は、まぎれもなくそんな芸術家でした。
 それに加え、先生には牧水に対する特別の思い入れがあり、先生の言葉を引用させていただきます。
 『医者の家の長男として生まれた牧水は、文学の道を選ぶことになる。
  18代も続いた家業とも言える神職を捨て、書の道を選んだ私。
  牧水の場合、母の英断で文学の道が決定的となるように、私には最愛の妻がいた。
  やがて書の道一筋にと、勧め抜いてくれた亡き妻への懺悔の気持ちが、牧水への傾倒を促進させてくれたと思っている』
 今は『あの世』で先生が奥様と仲睦まじく語らっていらっしゃることと信じます。
 拙い歌一首を最後に詠ませていただいて弔辞とさせていただきます。
   たましひを 線となし行となしたまふ 榎倉香邨先生の書  」

・俵万智先生(代読)
「コロナ禍が落ち着いたら……という言葉の虚しさを、ここ数年で一番感じたのは、榎倉先生の訃報に接した時でした。
 先生に初めてお目にかかったのは、宮崎県立美術館での『若山牧水没後90年記念 榎倉香邨の書―ふるさと』展でした。
 ご自身で作品の解説をされたおりに『私の心は根本海岸へ向かっています。残された時間は少ないが、これからは牧水の恋の歌を書きたい」とお話しされました。
 その言葉に勇気を得て、『牧水の恋』という私の本を、控室にお持ちしたのがご縁の始まりでした。
 『牧水にとって、恋とは何ですか?』
 まっすぐなご質問に、たじたじとなったことを思い出します。
 書道誌『書香』で、先生が牧水の恋の歌をお書きになり、私が選歌を担当し、エッセイを添えるという連載も、本当に楽しく充実したものでした。
 コロナ禍により展覧会が中止となり、再会を果たせぬままのお別れとなってしまいました。
 今はただ、先生とお会いできたことに感謝し、心からご冥福をお祈りするばかりです。」

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▲岩永栖邨
「本日の偲ぶ会には、大勢の皆様にお越しいただきましたことを、榎倉先生も大いに喜んでおられることと思います。
 香瓔会の『瓔』という字は首飾りのことです。
 香邨先生の『香』と合わせて先生を中心として美しい輪を作ろうと言う意味で命名されました。
 創立は、先生が57歳の時で、以来42年が経過しました。
 先生は創設時より『練り合わせる』と言う言葉を、よく口にされました。
 『社中やグループの垣根を無くし、皆で練り合う勉強をしよう』
 『絶えず明るく太陽を向く、ひまわりのような集団を作ろう』と薫陶され、私達は先生のこのような熱い思いの中で育てていただきました。
 今、要となる先生を失い、会の前途には大きな不安を覚えますが、先生のご遺志を継いで会の発展を図ることがご恩に報いることと考えています。
 どうぞ皆様には今後とも香瓔会の活動にご支援賜り、行く末を温かく見守っていただきますようお願い申し上げます。
 本日はご参列いただきまして誠にありがとうございました。」

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別室では、榎倉先生の作品展示、「つながろうアート!榎倉香邨編」の動画放映、午後からは午前中のセレモニーの様子を撮影した上映も行いました。

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会場には、多くの作品のほか、先生の全身のお姿の写真も展示され、まるで先生がこの場におられるようなひとときを過ごすことができ、改めて先生の偉業に敬服するとともに、先生との思い出が蘇るお別れ会となりました。

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新型コロナウイルス感染予防対策と偲ぶ会の円滑な運営のため、一部の皆様には別室での動画視聴でのご参列や、香瓔会会員および会友には、午後からの参列を呼びかけたおかげをもちまして、偲ぶ会を滞りなく執り行うことができました。
ご協力いただきましたことに厚く御礼申し上げます。

※なお、偲ぶ会の様子はANAクラウンプラザホテル神戸様ご協力のもと、撮影した映像を公開しております。
 ご参列できなかった方におかれましても、こちらの動画をご覧いただければ幸いです。
 https://youtu.be/MS-o0-0s4Ds

書道香瓔会
posted by 香瓔会 at 22:26| 日記